残日備忘録 そのⅠフライフィッシング

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芦澤さんの後ろ姿、貴重な写真はJFFの方からは頂きました。
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サトウセイジさんと言ったらこの一冊でしょう。
何年たっても色褪せません。今はでは息子のバイブルです。
ちなみに息子は石徹白に住みつきました。
写真はすべてポジフィルム撮影ですぞ。
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  サトウさん的な表現なら血の濃いイワナ
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  渓魚を撮らせたら右に出る人はいません
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        セイジさん若いですね。

石徹白川C&R区間の生い立ちを語るには、はじめにフライフィッシングのことから話さなければならない、なぜなら私がフライフィッシングという釣りに出会うことがなければ石徹白川のC&R区間は無かったと思うから。
フライフィッシングは私がそれまでやってきた釣りに対する概念を、全く違うものにした。少年時代から、エサ釣り、ルアー釣り、テンカラ釣りといろいろな釣りにハマってきた。テンカラは1980年にはすでにレベルラインでやっていたレベルラインは山本素石氏の弟子の井戸蛙石氏に教わった井戸氏たちがレベルラインの元祖だと思う。そんなわけでテンカラにはそこそこの自信を持っていた38歳イケイケのポン助(注1)がある日10歳ほど年下のフライマンにアゴが落ちるほどのシ~ンを見せられたのです。その日を境にフライフィッシング教の信者と化すわけです。それが1991年の出来事である。このエピソードは当ブログの(2013/3/7私のてんから考)にて詳しく掲載してあります。
そして精神的な概念はその後のフライフィッシング人生でますます変革するのです。

 哲学や精神的に最も影響を受けたのは芦澤一洋氏(アシザワカズヒロさん)だった。残念ながら芦澤氏は1996年に早逝されたので直接の指導は叶わなかったが、私が目指した自然再生産型C&R管理(無放流型)を目指す上で一貫した大きな支えであった。そして生態系保全型管理(C&R)における現実的な部分は佐藤成史氏(サトウセイジさん)から直接指導していただけたことは本当に良かった。日本のC&Rの幕開け時代の話だ。ちなみに石徹白のC&Rは日本で4か所目だったはずである。
日本のC&Rはこの二人フライフィッシャーの提唱から始まったといっても過言ではないと私は思っている。
                              ・・・・・つづく
注1(岐阜県東濃地方では仕事より殺生ごとに夢中なおっさんのことをこう呼ぶ)

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by itoshiro-sp | 2018-10-16 08:50 | 石徹白川C&R残日備忘録  

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