この残日備忘録は私の日記替わりでもあるので、こんな話も記しておくことにした。
2018.12.4今日8回目の分子標的薬治療(抗がん剤)開始今日から2週間やって今年は最後で来年の1月8日まで休薬である。ヤレヤレである。
思えばおかしな病気である。今年の4月に再発を宣告されたわけだが、そのころ全く何の自覚症状もなくこの5年余りの中では一番体調が良かったのに、小さなガンが一つ見つかりその治療を始めることで、いきなり病人になるのである。「今年は白山に登ってやるか」なんて思ってたのに・・・・?
とは言っても、振り返ってみれば治療をはじめてからも、ただへこたれていたわけでなくけっこういろいろやっているのだ。何かやってないとならない性分なのだろう、6月にはサツマイモを500本も植え付けたし、我が家の車のトラブルもすべて片付けてやったし、現在も1台レストア中である。作りかけだったロッドも6本仕上げた。石徹白の家の雪囲いも手伝った、さてこれからいよいよ干芋作りだ。さすがに体力のいることは無理だがまだできることはそれなりにあり、まだ誰かの役に立てることあるから寝込んでられない。
副作用のことも書いておく投薬クールは初日の点滴からスタートするのだが、私の副作用はこの点滴の副作用がほとんどの気がする。最初の異変は点滴スタートからすぐに点滴側の腕がビリビリとしびれ始める。この痛いほどのしびれは1週間ほど続く、そして両手両足先のしびれである、冷たいものに触るとヒドイ、うっかり凍ったものを持ったりすると激痛のようなしびれに襲われ物を落してしまうほどだ。そしてこれは私だけの症状みたいだが物を食べようとしたときはじめの一噛みであごの付け根に激痛が走る、思わず声を上げるほどであるが、二口目からはおそるおそる噛むとなんでもなくなるので大したことはない、またこれも不思議だが涙を流すと目頭に激痛がくる。これにはけっこう困っているテレビを観ててけっこうよく泣くのである。これらの副作用?も一週間で消えるから耐えられるレベルだ。
抗がん剤治療でよく言われる吐き気はもう慣れた?、不思議なもので慣れると吐き気があっても食べられるようになる。これは4年前の手術後の抗がん剤治療の時に克服した。不思議だが私は吐き気があっても食べられるのである。
いま一番、深刻なことは血中のヘモグロビンの低下である、数値的には12~17くらいが正常値のところ8.7が最近の数値で治療を始めてから徐々に低下してきているので副作用ということらしい。この数値まで落ちると深刻な貧血を招く2階の生活が少々つらくなってきた。主治医には「これ以上低下したら輸血をするしかない」と言われている。輸血は初めてなのでちょっと怖い。
私的にはガンは根治できるとは思ってない今あるガンを大きくしないことだと理解している、つまり上手く共存していく考え方である。いろいろ言う人がいる抗がん剤治療なんて効かないとか医者は自分がガンになっても抗がん剤治療はしないとか、じゃ~どうすればいいのと聞けば甘いものや肉を食べなければ治るという、ふ~ん 私は甘いものが大好きだし肉も食べたい、無理~、まあ~66歳まで生きられたのだから標準治療で良い。高額な先端治療を選択できるようなゆとりもないし、食えるうちは好きなものを食べたい。多くの人はガンと聞くとガンになったら死んじゃうと思うから怖いのだろう、もっと若い人ならいざ知らず私くらいの年になるとたとえガンを克服できたとしても、どうせ死からは逃れられないことがわかってくるからね、それに自分ではそこまでして長生きする価値のある人間と思ってないから。
実は最近、いつも畑で出会っていた知り合いがこの数か月で立て続けに3人急死された。けっこう健康そうな人たちで私の病気を心配していつもいたわりの言葉をかけてくれた人たちだった。3人の内二人は私より年下なのに、こうなると私は完全に死ぬ死ぬ詐欺犯である。
人の運命なんて本当にわからないものだ、ただ皆いずれ絶対に死ぬのである。
私はまだ生かされているだけのことである。
これは一人の現役ガン患者の率直な意見である。
高速道路でエンジンブロー、新しいエンジンに載せ替えたし
ブドウも豊作だったし
芋ほりは仲間が機械で掘ってくれた
こんなのも頼まれて作った
散歩だけしている隠居さんよりやっている気がする。
生きてりゃいろいろやれるもんだ