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残日備忘録 番外編

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「石徹白Fisher's Horiday」は何年も続いたので、記念グッズがいろいろある。
バッジやステッカーなど、おかげで私のベストはにぎやかだ。

 数年前、まだ元気なころ息子とヤマトイワナ探索に行った時のエピソードである。
木曽川上流のある谷の探索を終え車で帰り支度をしていたら、通りかかった釣り人に話しかけられた。「釣れたかい?」「ま~ま~でした」とお決まりの会話の後、我々のベストの石徹白グッズを見て、「あんたたちは石徹白川へよく行くのかね?」と言われ「え~よく行きます」と答えると「あそこはね我々テンカラの仲間が作った釣り場なんだよ、知ってる?ホントだよ!」と来た。
「はあ~そうっすか・・・?」と答え息子と顔を見合わせ苦笑いである。
見かけたことのない顔だったので「あなたも良く行かれるんですか?」と聞くと「僕は行ったことはないけどね」「釣り堀みたいなとこは好きじゃないから」だそうだ。
別れた後「あの人何が言いたかったんだろう?、それにしても親父もちょっと大人になったな~」
と息子に褒められた。
「作ったかどうか知らないけど・・・・・・・のはたしかだね」

 長年続けてきた「石徹白Fisher's Horiday」もさすがに東日本大震災の年だけは自粛のために中止にしたんだけど、テンカラだけでもやりたいって「石徹白テンカラミーティング」ってイベントを開催したくらいだからね~。
  とにかく仲間意識は強いから・・・。

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         このベストも、もう長いこと着ていない。


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by itoshiro-sp | 2018-10-30 07:44 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録その8 ニジマス

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   これはイメージ画像です。
   峠川のニジマスは稚魚で逃げたので現在も15センチ前後が多いはずです。
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 2年前の早春に前川上流ネーゴ谷の養殖場からニジマスの稚魚が逃げ出した。一池すべてというから約2万匹だろうとも言われている。養殖場の管理ミスだ、ニジマスたちは前川を下り峠川C&R区間下流部に入ってきた。これが今C&R区間のけっこうな問題になっている。漁協にとってもありがたい魚種ではないので、県の専門家にも意見を伺い関係者が出した結論は「ニジマスの定着は可能性が低いことから自然に減少してゆくであろう」ということで、しばらく様子を見守って行くことになった。
あれから2シーズンすぎたが今もC&R区間内にはまだまだ生息している。というのもニジマスは毛バリへの反応が良い魚種なので最初に顔を出すため、よけいに目立つようだ。ただ今のところは逃げ出した世代魚のみで再生産した次世代魚はいないようなので、見守りの方針は変わっていないが、ただ一部のニジマス嫌いの人からの苦情があるのも現実なので、今後何らかの対策も必要かと考え、まずは県の水産試験場が専門的な生息状況調査をしてくれることになっている。

私の個人的な見解は、たしかにニジマスは外来種であるが、在来種への悪影響はさほどないこと、本州では定着例が少ないこと、食用魚種として養殖が盛んであること、などを考えると駆除とか排除の必要はあまり感じない。今回の流出は今のところC&R 区間の下流部に留まっており、なかなか減らないのはC&Rというルールがあるため一般釣り場よりは時間がかかっているのだろうと考えている。いずれ本流の一般釣り場へ下れば釣られてしまうだろう。
また地元の人たちはニジマスに対しもっと親近感を持っている。
ある若い衆いわく「しゃーなもん、石徹白じゃあ昔から個人的にニジマスを飼っちょるでな~、川にもおってもな~んもやろ!!」
「目の敵にしちゃや~れかわいいな~」という。
「そりゃ~や~れかわいいな~」同感である。(石徹白ではかわいそうをかわいいともいう)
いくらニジマスが嫌いでも、ただ泳いでいるだけなんだからもうちょっと優しくなれないかな。
駆除だ排除はけっきょく殺してしまえということなら、あまりに勝手すぎないかな。


 じつは石徹白川のニジマス放流には大変古い歴史がある。
私が20代(1970年代)のころ石徹白川の本流ではときどきニジマスが釣れた。ごくまれに釣れるだけだったので生息密度は低かったと思うが、そのニジマスは見事に完ぺきな野生魚体で大型が多かったのでそんなのが掛かると川の中を引きずり回され大変だった。
後に知ったことだが、あのニジマスは須甲末太郎氏(過去記事2015/6/30ヤマメ(マスバイ)&アマゴのこと)という人が1945年前後に放流したニジマスの末裔だったようだ。須甲氏は本流の大進橋の右岸で渓魚の飼育池を所有し、魚が本当に好きだったようだ、アマゴの放流はもちろんニジマスも扱いあちこちに自主放流されていたらしい。その結果ホー川の上流部にだけ定着したようでけっこう長期間にわたり自然繁殖していたという。猿橋さんという古老から「ホー川には昔けもののようなニジマスが釣れよおったでな」と聞いたことがある。その一部が下流に流れ下ることで、ちょくちょく本流でも釣れていたということのようだ。
そのホー川は私たちが数年前に源流まで調査したかぎり、確認できなかったので現在はもう絶えたと思われる。
 この須甲氏は昭和の初めに下流のダムのせいでヤマメが絶えたことを憂いアマゴの放流を主導された方でもある。じつは、そのアマゴの末裔が現在も脈々と自然繁殖していて、今のところイワナ域より上流でひそかに再生産が持続している場所が3か所確認できている、そこには養殖アマゴの放流は一度もされていない、つまりこれらのアマゴたちは長良川の天然アマゴの末裔であり、ある意味でとても貴重な遺伝子を引き継ぐアマゴたちである。人為的な放流の定着例としても貴重だと思われる。

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       小さな谷なので小型ばかりだがじつに美しいアマゴたちである。

                     その9につづく・・・・。



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by itoshiro-sp | 2018-10-29 07:09 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録その7「石徹白レポート」

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 石徹白川でC&R管理の提案をはじめた初期の記録をまとめた「石徹白レポート」という記録書がある。1997年から2003年の6年間の活動記録である。
もう忘れちゃってたようなことを思い出させてくれる。ところどころ「若かったな~」と思うところはあるが、川の生態系復活への情熱は今読んでも色褪せてない。
このような記録が残っているおかげで、時々取材を受けたりするときほんとに助かっている。
すべてO君のおかげである。O君は活動開始からずーっと私の相棒であり理解者である。
当時彼は水曜日しか休みの取れない仕事に就いていたため、皆と一緒に現場での活動ができなかった。その分文書作成などの事務処理を一手にやってくれた。こういう人がいなければ正確な記録は残らなかった。感謝している。

 画像の表は1998年からだが1997年から毎年秋に峠川で産卵床の観察を続けている、表から読み取れるように2000年から劇的に変化している。
2000年という年は第一回目の「石徹白Fisher's Horiday」を開催している。厳密には石徹白でのイベントは2回目だった。
実はこの前年の1999年5月に「石徹白C&Rミーティング99」という第一回目ともいえるイベントを開催している、この時は5月29日30日の2日間限りのC&Rイベントだった。つまり従来の釣り大会のように大会区間に成魚を放流するイベントだが大会期間の2日だけはC&Rを守ってもらうというものだった。この二日の間だけ会場の橋の上からたくさん見えていた魚たちは、次の日一日ですっかり見えなくなった。このことは関係者の間で、今でもよく話題になる。
イベントの終了する日曜日の夕方、翌日の月曜日に釣るために泊りがけで来たエサ釣りの人たちが大会会場の外で大勢待ち構えている光景が印象に残っている。
釣って持ち帰れば魚はいなくなるということ、しかし釣るだけなら魚はいなくならない。というC&Rの基本をはっきりと体験できたイベントだった。

 そして、2000年のイベントは8月26日27日に開催された。開催日が8月になったのには理由があった。大会は2日間だがC&Rイベントの期間は一か月間としそのまま禁漁期まで魚の持ち帰りを禁止とした。これが2000年の産卵床の増加の理由である。
たった一か月だったが、9月というのに渓流にはたくさんの魚が見え、そのまま禁漁になり産卵期に入るとあちこちでペアリングや産卵床が確認できた。あれは感動したな~。
このイベントを開催にこぎつけたことこそ石徹白川C&Rの本当のスタートだった。

                       その8につづく・・・・・

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by itoshiro-sp | 2018-10-28 08:42 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録 その6 C&R区間で100匹turitaidesuka?

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 数年前からC&R区間の規則として1日10匹という尾数制限が設けられた。
突然で驚かれた方も多かったと思う。
規則化されるに至った事情と私の個人的な思いを語ってみたい。
当然のことだがC&R区間とは釣りあげた魚を生きたまま放してあげる釣り場である。そんな釣り場が存在する理由は残日備忘録その3で私の考え方で説明したつもりだが、石徹白川の場合は生態系保全が最優先の考え方を前提に禁漁区に指定し、ダメージを最低限に抑えた釣りだけを許可される釣り場である。
ある時この釣り場からの発信で50匹釣った100匹釣ったという記事が毎週のようにネット上に踊るようになった。もちろん当時はルール違反ではなかった。
皆さんはどう感じるのかわからないが?
私や私の仲間たちにとっては、はなはな苦々しくて悲しい記事でしかなかった。
それでもネット上ではそれなりににぎわっている。
「すごいですね」「さすがですね」とコメントが飛びかう。もう黙っているわけにいかない気持ちになっちゃたわけです。
発信者のお仲間でリーダー格の方に「あれはまずいから何とかなりませんか」とやんわりとお願いした、ところが、
「ルール違反ではないしそれぞれの考え方もあるわけだし・・・」
と歯切れが悪い返答。
後で知ったのが、その方自身もネット上で「私の知り合いにはこんなに良く釣る人がいる」と仲間自慢をしていると聞く、なるほどと納得・・?それどころかC&R区間は短いので100匹釣れるまで同じ区間を何回も往復して釣っていると内幕も明かしているという。どういうこと?それが自慢なん?ハア~なんすか?それ!!
あげくはテン・・グループの集会では「100釣り方スクールの講師」と祭り上げられているという。
テーブルマナーで骨のしゃぶりかた皿のなめかたを教えてもらうというのか。
そんな行為が非難されないどころかもてはやされるようなグループかと思うと恥ずかしくて悲しくなってくる。
と、まあ~その結果の10匹制限である。管理の横暴でしょうか?じつは5匹でいいだろうという声も多かったんですよ、なんせ本来は禁漁区なんで、
 10匹制限が決まった直後、件のグループからは非難の嵐「10匹なんか1~2時間で終わってしまうあとの時間はどうすりゃいいんだ」、「10匹ばかりじゃガソリン使っていく価値がない」とかである、もう、苦笑いするしかない・・・・苦情もちょっとお品が・・・・?

そんなこんなで2シーズンが過ぎそろそろ落ち着いたと思っていたら、件の人物はいまだ不満らしく、最近も組合に対し「せめて20匹にならないか」と、のたもうたそうだ。

50匹100匹とただ数をかぞえたいの?ただただ多く虐めたいの?私には理解不能。
サイコパスか?
50匹100匹と持ち帰りたいというほうがまだ理解できるというか健全な気がしてくる。
昔、島崎憲司郎氏が言ってたな、「C&Rって魚にしてみたら連続ゴウカンされてるようなもんだ」と、そうかC&Rというルールが作っちゃったモンスターゴウカンマなのか?と妙に納得!!

ただ、私の周囲の方たちは10匹も釣れなくても充分という人ばかりですがね~。

今回、いろいろキツイことを書きましたが生き物へのやさしさが少しでもあれば、こんなことにならなかったのに…残念です。

「このC&R区間は生態系ファーストです生き物にやさしい人しか入川できません」
と規則に追加してほしい。


                         ‣・・・・その7につづく








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by itoshiro-sp | 2018-10-24 07:59 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録 その5 エサ釣り禁止とルアーへの思い

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 C&R区間がスタートして数年間はエサ釣りも禁止ではなかった。
スタート前、エサ釣りは禁止にした方がいいんじゃないかという意見もあったが、釣り方の差別は良くないということで釣り場の公共性を重んじすべての釣り方をOKとしてスタートした。
私自身もエサ釣り禁止には賛同しなかった、確かにエサ釣りは針を飲み込まれる率が高いので魚へのダメージは大きいと思うが、じゃ~ルアーはどうかといったら、最近の主流ルアーのミノーと呼ばれるタイプは小さいサイズでもトレブルフック(日本では昔はいかりバリとか引っかけ用ハリと呼ばれていた)が2本も付いている、これのダメージのほうが大きいかもしれない。*注1
エサ釣りが禁止になったのはリリースせずに魚を持ち帰る人が頻発しそのほとんどがエサ釣りだったことで業を煮やしての決定だったと聞いている。組合の決定が突然だったので驚いた覚えがあるが、現場で起きた、ある許しがたいトラブルが直接の理由とも聞いている。エサ釣りの人すべてが確信犯だったわけでもないだろう。エサ釣りのほとんどが目的は魚を得ることである人が多いわけで、そんな人がリリースをしてみるかと思いC&R区間に入ったとしても、人が見ていなかったら、つい隠してでも持ち帰りたくなるのだろう。その心理もわかる気がする。
それにしてもいきなりの禁止にも大きなトラブルにはならなかったのは意外だったが幸いだった。
エサ釣りの人にとってC&Rは、どうせ魚を持ち帰りできない釣り場だから大した問題ではなかったのかもしれない
それに禁止になった今でも確信犯の密漁者(エサ釣り)はいる。この人たちもすべてが極悪かというとそうでもないのだ、そんなに罪悪感なくやっている地元の人とか元地元人というような人は、昔からおれの漁場なのに何が悪いのだと開き直りの人も多いと聞く。今も監視の現場では小さなトラブルが時々あるようだが、その人たちに理解してもらうのはなかなか難しいのが現実だ。

 このようにエサ釣り禁止の表向きの理由はエサ釣りはハリ飲み込まれるという魚へのダメージなのだが、本当はこっそり持ち帰る人が多いというマナーの問題のほうが大だったのである。
ダメージの問題を追及すればルアーだって同じだが、それを理由にルアーを禁止にしたらもっと大きな問題になったかもしれない。トレブルフックの生態系への影響は証明されてないというか研究されてもないかもしれないが、トレブルフックは魚に対し暴力的なフックであることは間違いないと思うので、一刻も早くルアーの世界の内で解決してほしいと願っている。
このことをルアーの人に問いかけたことが何度もあるが、全く罪悪感はない人が多い、それどころか「大きなシングルフックより小さなトレブルフックのほうが魚へのダメージは少ないんですよ」と反論する人もいた。
テレビでルアー釣りを見ているとヒットシーンの時アングラーが「やべ~フックが一本しか掛かってないからバレるかもしれない」というセリフけっこうよく聞く、これってもう一本のフックがどこかに引っ掛かることを前提と考えて2本付けているわけだ、もう一か所掛かれば余分な傷を負わせるとは考えられないのか?これってやはり引っ掛け釣りといわれてもしかたない気がする。

ルアー釣り一筋の方々は、
さぞかし腹が立つことでしょうが、どうか冷静になって考えほしい。
他のほとんどの釣りではフック一本掛かれば充分だということを。

もちろんルアーを販売する業界のほうに一番の問題があると思うが、現状はミノーが業界を支えているので業界からの変化は期待できないとも聞いている。使用する側のアングラーの意識が変わり需要が変化すれば業界も変ってくるかも知れない。

私自身も若いころルアーはさんざんやったが、ある時からリリースのことを考慮しシングルフックにしていた。実は8年間九頭竜川のサクラマスに狂っていた。
残念ながら、個人的にはトレブルフックがルアーの世界から消えなければルアーをフェアな釣りとは認められないというのが本心である。

*注1 (現在C&R区間内ではバーブレス、シングルフックのみと決められている)

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ルアーってなんでこんなにフックがついているのか不思議じゃないですか?
もう一つ気になってしょうがないのが、ルアー釣りの番組でよく観るフィッシングプライヤー?フィッシュグリップ?
とかいう魚の口をはさんでぶら下げる道具、あれはかわいそうで見てられないんだけど、ルアー釣りの人たちは心痛まないのかな~? ちゃんと手で持ってや~、まあ~推して知るべしか。

                           ・・・・その6につづく




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by itoshiro-sp | 2018-10-22 13:48 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録 番外編 越前のテンカラ師

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山本素石氏の随筆集、珠玉の一冊である
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この話のテンカラ師とは石徹白の漁師である
この人の曾孫さんに小学校の釣りクラブでFFを教えた
キョウヘイ君といって今は自衛隊員になっている                       
 

 山本素石氏の随筆集「渓流物語」に登場する越前のテンカラ師は石徹白川の話である。
話の概要は素石さんが石徹白川で目の不自由なおじいさんテンカラ師に出会いその見事な腕前に驚かせられた。というエピソードである。
 先日このテンカラ師の孫にあたるヨシタカさんからおじいさんの話を聞いた。名前は上村金重(ウエムラキンジュウ)さんという。山仕事や歩荷、川魚釣りなどを生業としていて、釣った魚を背負子式のかごに並べ郡上の高鷲あたりの旅館まで卸していたという。文中では両目とも白く濁りほとんど失明していたような表現がされているが、ヨシタカさんによると薪がなにかが目に当たり片眼が不自由だったようだ。
 ある時本流上流の石徹白大滝のそのまた上流で2尺5寸の大イワナを釣り上げたそうで、「川のヌシを釣ってしまったたたりで目をやられたのだ」と言い伝われているという、川漁師としての金重さんには石徹白川におけるイワナの品質基準があった「1番は本流物、2番はオジラミ谷、3番がホー川、一番おぞい(良くないの方言)のがワサビソのイワナじゃ」と言っていたという。

 それにしても2尺5寸って75センチ!!?、超大イワナ。
大滝から上流はもう永年にわたり禁漁中なのでひょっとしたら今でもいるかも?
上村家に伝わるご先祖の武勇伝、久々に釣り人の血が疼くような楽しい時間をすごせた。

                        残日備忘録  番外編No1

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by itoshiro-sp | 2018-10-20 07:17 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録その4 Fly Fisher1998年12月号

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 Fly Fisher誌の1998年の12月号に「21世紀の渓景色へ第6回岐阜県/石徹白川」として掲載された前年8月に佐藤成史氏が石徹白川に3日間滞在し取材された。
当時、私たちは「在来渓魚を殖やす会(C&R)」という名称のFF同好会を作っていた。なんとも堅苦しくFFの会とは思えない和風調である。(この名称についてはまた機会があったら語る)
あの取材時にはメンバー15人ほどが参加したはずだ。真夏の渇水で撮影用の魚が釣れなくて困ったのを覚えている。
 あの時、連れて行った中学生だった息子にとっても忘れられない思い出があるという。取材で行った養魚場のおじさんが弱ったアマゴをまったくの躊躇もなくニヤニヤしながら生きたまま何匹も地面へ投げ捨てたシーンが悲しくて今もそれが反面教師となっていることや、渇水で釣れない大人たちの中で唯一イワナを釣りあげ佐藤さんにとても喜んでもらえたこと、そしてその影には付きっきりでサポートしてくれたY村さんというメンバーが自分はロッドを持たずについてくれたことが忘れられず、それ以来自分が人をサポートするときはロッドを持たないときめているという。子供は親が知らないうちにいろいろ学んでいるものだ。その彼が、今石徹白に住み付き父親になろうとしてる。生まれてくる子もたぶんやさしいフライフィッシャーになってくれると思っている。

 今この記事を書いていて嫌な事件を思い出してしまった。この取材に至るいきさつは、その前年に埼玉県の大宮で開催されたトラウトフォーラム主催の佐藤氏と島崎憲司郎氏の講演会に参加したご縁からだったわけだが、佐藤氏の取材を受けFly Fisher誌に掲載されたことで後になってトラウトフォーラムの事務局長からえらく理不尽なお叱りを受けることになった「あの人(佐藤氏)が関わったところは全部ポシャッてるんだから」とかなんとか?とこっぴどく恫喝された、私の知る限りそんな話はほかで聞いたことはないし、その意味不明の不条理さに困惑し、その時を境にトラウトフォーラムとはすっぱりと縁を断った。事務局長、名前も忘れちゃった?なんか印象の薄っぺらい人だったな。
この件は今でも理解に苦しむが、トラウトフォーラム=フライの雑誌社としては石徹白川のことがFly Fisher誌に掲載されると聞きよほど腹が立ったのか?
思い出してもなんだか業界人の闇を見せられたような嫌な事件だった。トラウトフォーラムってのも有名人の名前を連ねて会員募集して実態はなんだかよくわからない団体だった。っていうか今も活動してるのかな?

 我々からすれば、佐藤さんとは本当に良きアドバイザーとして長い信頼関係を築けたわけだから、あんな事件があったのも案外よかったのかもしれない。

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             本流の下流部で道路から望遠でレンズで撮影してくれた
               私のとっておきの写真である(撮影 佐藤成史氏)

                            その5に続く・・・・。       



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by itoshiro-sp | 2018-10-19 08:07 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録 その3 C&Rもいろいろ?

 キャッチ&リリースには大きく分けて2つの考え方がある。
釣りする権利を優先する『釣り人天国」と魚たちのくらしを優先する「お魚天国」。
私は「お魚天国」を石徹白に実現したかった。
釣り人が自らの権利を放棄して釣った魚を放してあげるとき、「大きくなってまた楽しませてくれよ」と思う人が多いかもしれないが、私は違う「もう釣られるなよ」と願っている。
人間は何事にも損得やメリット、デメリットで判断しなければ気が済まないので、「大きくなってまた楽しませてくれよ」となる人が多いかもしれない。
「これからも何回も俺が釣ってやるぞ」なんてのは論外としても、生態系保存のためとか自然再生産の復活とかちょっと美しい目的を理由にすることさえ損得を求めているのと同じかもしれない。
もっとシンプルに魚という生き物を慈しむ気持ちからリリースすることはできないのか。殺すのはかわいそうだからではだめなのだろうか?その方が子供たちにも伝えやすいと思うのだが。

 釣り人優先の釣り堀的C&Rと魚の生態系のためのC&Rは全く違うものであることを、ほとんどの釣り人はよくわかっていない。
石徹白川のC&R区間には15年以上にわたり一切放流していないのが我らの最大の誇りなのだが、そんなことはお構いなしに「最近魚が少なくなったんじゃないか」とか『ちゃんと放流してるのか』などと言ってくる。C&Rとは釣り堀の一種だと思っている人も多い。
そんな人に言いたいことは「ここは魚たちの安全なくらしが優先で釣り人の欲求は優先されない釣り場だとご理解願います。そこに不満がある方はどうぞ他の川へ行ってください」である。
15年も放流してなければ魚たちの寿命からしてすべてが天然魚ということになる。今時、釣れる魚がすべて天然魚なんて川がどこにあるのでしょうか?、このエリアの本当の価値が何もわかっちゃいないのかな?

 今年も、どこかの誰かさんたちが何も見返りを求めず、人しれずスコップを持って産卵場の整備をしていることも知っているのだろうか?もちろんみんなひけらかしたりしない好きでやってるだけだ。そんな地道な努力もあって生息密度も調査のかぎり良好。


私は、いくらリリースする人でも魚への慈しみのない人は・・・・である

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もうアマゴの産卵床があったのでビニールで保護している
今では水産試験場の技官たちも応援してくれている
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 素敵な小川になったが気に入ってもらえるだろうか
                あとはイワナたちの遡上を待つだけ

                          ・・・・・その4につづく





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by itoshiro-sp | 2018-10-17 22:00 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録その2 スタートはこの看板

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石徹白川でこの看板を見たことのある方はかなりのベテランである。
1997年、漁協から看板設置の許可をもらい川岸に立てさせてもらった。
これが私たちの活動のスタートだった。
横2.3m縦1mアルミ製、これを2枚製作し石徹白橋とお宮の橋のところだったと思う。
釣った魚を逃がしてやるなんて邪道とまで言われた時代である。
今思えばよく立てさせてもらえたものだ。
とにかくすべてはここからはじまった。

                       ・・・・その3につづく



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by itoshiro-sp | 2018-10-17 10:58 | 石徹白川C&R残日備忘録  

残日備忘録 そのⅠフライフィッシング

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芦澤さんの後ろ姿、貴重な写真はJFFの方からは頂きました。
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サトウセイジさんと言ったらこの一冊でしょう。
何年たっても色褪せません。今はでは息子のバイブルです。
ちなみに息子は石徹白に住みつきました。
写真はすべてポジフィルム撮影ですぞ。
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  サトウさん的な表現なら血の濃いイワナ
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  渓魚を撮らせたら右に出る人はいません
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        セイジさん若いですね。

石徹白川C&R区間の生い立ちを語るには、はじめにフライフィッシングのことから話さなければならない、なぜなら私がフライフィッシングという釣りに出会うことがなければ石徹白川のC&R区間は無かったと思うから。
フライフィッシングは私がそれまでやってきた釣りに対する概念を、全く違うものにした。少年時代から、エサ釣り、ルアー釣り、テンカラ釣りといろいろな釣りにハマってきた。テンカラは1980年にはすでにレベルラインでやっていたレベルラインは山本素石氏の弟子の井戸蛙石氏に教わった井戸氏たちがレベルラインの元祖だと思う。そんなわけでテンカラにはそこそこの自信を持っていた38歳イケイケのポン助(注1)がある日10歳ほど年下のフライマンにアゴが落ちるほどのシ~ンを見せられたのです。その日を境にフライフィッシング教の信者と化すわけです。それが1991年の出来事である。このエピソードは当ブログの(2013/3/7私のてんから考)にて詳しく掲載してあります。
そして精神的な概念はその後のフライフィッシング人生でますます変革するのです。

 哲学や精神的に最も影響を受けたのは芦澤一洋氏(アシザワカズヒロさん)だった。残念ながら芦澤氏は1996年に早逝されたので直接の指導は叶わなかったが、私が目指した自然再生産型C&R管理(無放流型)を目指す上で一貫した大きな支えであった。そして生態系保全型管理(C&R)における現実的な部分は佐藤成史氏(サトウセイジさん)から直接指導していただけたことは本当に良かった。日本のC&Rの幕開け時代の話だ。ちなみに石徹白のC&Rは日本で4か所目だったはずである。
日本のC&Rはこの二人フライフィッシャーの提唱から始まったといっても過言ではないと私は思っている。
                              ・・・・・つづく
注1(岐阜県東濃地方では仕事より殺生ごとに夢中なおっさんのことをこう呼ぶ)

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by itoshiro-sp | 2018-10-16 08:50 | 石徹白川C&R残日備忘録