釣り人と漁協との連携で川は変えられる
今回、編集者が考えてくれたタイトルだがまさにコレだ今回のフライフィッシャー9月号は
河川の環境保全問題が大きく扱われているその流れで
石徹白川の話が掲載されたわけですが学者さん研究者さんからの
報告ばかりでつり人からの発信はほとんどなかったですね
石徹白川のような古い情報以外では
ルアーマンたちによる魚道のメンテナンス活動
ぐらいだったですね・・・?
河川環境、とくに生態系保全には釣り人からの発信しかないと思ってます
釣り人は川の問題提起や提案を漁協に対しもっとどんどんするべきです
それが至極真っ当な流れなんです
内水面の漁協運営のほとんどは客である遊漁者からの遊漁料で
運営されているわけだから運営上最も影響力を持つのは
釣り人なのですがこの両者は意外に接点が薄いというか
良好な関係が築かれてこなかったのが現実ですなぜかと言えば
漁協や行政の知る一般の釣り人とは
私欲の固まりみたいな
苦情(罵詈雑言)ばかり言ってくる
ただサカナがほしいだけの人たちなのです、笑
そう思われてしょうがない
漁協に届く電話やメールは
ちっとも釣れんけどちゃんと放流してるのか、怒💢
オラの好きなことを禁漁にしたな、怒💢
せっかく行ったのに林道が工事で入れんかった、怒💢
C&Rなんかこれ以上増やしたら承知せんぞ、怒💢
ナド、ナド
笑っちゃうほど単純で幼稚なものばかりです
どの漁協も同じようなものでしょうから漁協や行政は
釣り人とはこんな連中ばかりと思われてるわけです、笑
小額の遊漁料を支払ってることを盾にしてこんなセコイことを言う連中に
遊漁券を売ってやらない方法はないでしょうかね
イヤイヤ
そんなはず無いですよねほんの一握りだけのはずですよ
ほとんどの釣り人は良識のある社会人として生きている人たちであり
社会のルールを守り家庭内では良きパパのハズです
アウトローのような集団と位置づけているのはむしろ漁協や行政であり
彼らが良く使う「一般の釣り人」という言葉があるんですが
例えば「そんなことして一般の釣り人から文句が出ませんか?」
というふうに使われますが普通だと
一般の釣り人ってちゃんとルールに従う優しい人じゃないの?
たとえばですが持ち帰りは5匹までというような規則をもうけても
生態系や漁協の運営のために必要なら受け入れてくれるはずですし
それが気に入らないアウトロー的な人は
よその河川へ行ってもらえばいいのですから
欲深く自分勝手な文句を言ってくる連中の価値観に
目線を合わせるような運営をしてきた
ことがいけなかったんでしょうね
一般社会と照らすと不思議ですよね
町内会でもそんな自分勝手な人はめったにいませんよ
いても100人に1人くらいかな?
なにが言いたいかといえば
釣り人から漁協に苦情じゃなく建設的なものを言おうよ、なんです
今は漁協に対してまともな提案をしてくる釣り人は
皆無に近いんだけど
漁協はちゃんと聞く耳を持っていますよってことなんです
もちろん良識のあるまともな提案ですよ
実際問題としてほとんどの漁協の運営者は
釣り場管理や釣りのプロ集団ではなく地元の
名誉職であることが多く老齢化も進み
釣り場管理の改革なんて発想を期待しても無理なんです
ただしこちらも名誉の為に言っておきますが
地元の河川や自然の環境保全を
どうでもいいなんて思っている人は1人もいないハズで
自然の荒廃には皆さんが危機感を抱いているしせめて今ある自然だけは
未来に申し送りらねばならないと考えておられるはずです
そこにつながる提案や警鐘を釣り人から発信しましょうよ
そして一緒に考えていきましょうよ
黙っておとなしく釣ってるだけでも自然にインパクトをあたえるんです
せめて自分が与えたインパクトの分だけはお返しする
一人一人が
それを心がけなければ今目の前の自然がどれだけ豊かに見えていても
必ず「昔はもっとよかったのに」と言うことになるんですよ
昔よりダメにしちゃった責任は自分にもあるのですぞ
地球に対しローインパクトに生きることが
芦沢一洋氏の思想です
我が家でインタビューだったんだけどなぜか
ロッドを持ってる画像を使われてますね
25年前の石徹白川で
石徹白漁協の前組合長に言われた言葉だが
「大のオトナが信念をもって言ってるんじゃからちゃんと聞かにゃな」
人と人は信念を持って向き合えば分かり合えるものなんですよ
一方では
「大のオトナが千円も払ったんだから10匹は釣らんとな」
これも信念ってかっ